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人生を生きる中で、意識を向けるべきは神様だった。

私は考え事が多い人間で、頭の中にいろんな考えが過ぎったり、気になる事が起こるたびにその事について考えたりしてしまう癖がありました。

仕事していたり生活をしている最中でも、どこに意識を向けるのがいいのかと考えることがありました。

私はダンスをやっていた事を何度か書かせて頂いてますが、ダンスを例に挙げさせて頂くと、ダンスをやっていると使うものは自分の身体しかありません。

まして私は男ですから化粧のことなどは考えず、自分の身体をいかに究極的に扱えるか、という方向に考えが向かっていました。

(髪型やファッションを使ってよく見せる手段もありますが、本質的なところは自分の身体の方にあると考えていました。)

自分の動きや表情ひとつとっても、どこに意識を向けるのが良いかと考え、自分の癖を克服するために、その度、悪い癖を直して正しい動きや表情ができるようにと、その都度、その都度、意識を向ける所を変えてきました。

しかし、結局何が正しいのか、答えが分からないという事が続いていました。

ある一部分に意識を向けても、今度は他の部分で気になるところが出てきて、その新しい改善点に意識を向けて改善しても、前の改善点と相反する改善をすることがあり、前に直した所に干渉してまた一から癖を直す。というような状態が続き、迷いから抜け出せない状態が続いていました。

何を基準にして、正しいかどうかを判断すれば良いのか分からないという状況でした。

迷いがあると、その迷いはどこかしらで動きに出ると言われます。

身体の動きを根底から動かしているのは内面(心)だろうと感じることはありました。そのため心を充実させれば、動きも良いものになるだろうと考え、内面を探究するスピリチュアルなどに学ぶようにもなりました。

しかし、スピリチュアルを学んでも答えが出ないどころか、学ぶほどに頭が混乱するものでした。

考えても答えは出ないので、中には’考えるな’という類の教えもあります。

50年ほど前のブルースリーのセリフ「考えるな、感じろ」は、世界的に有名になりました。ブルースリーのこのセリフがことさら取り上げられたのも、結局はスピリチュアル普及の一端をになっていたのかも知れません。

ブルース・リー→李家

李家→出口王仁三郎→大本教→スピリチュアル

そのスピリチュアルは悪魔崇拝の思想が元になっている事がRAPTブログに出会って分かりました。

http://rapt-neo.com/?p=37092

http://rapt-neo.com/?p=37128

https://www.instagram.com/tv/COsFgI9FCes/?igshid=1mx92c26k1035

何かに意識を向けるのはダンスをやっている時に限らず、生活のさまざまな面で、意識を何に向けるか選択する場面があります。(私はそのように思いながら生きてきました。)

2020年にコロナが始まってから、毎日のようにコロナの話題に触れるという状況が続いています。

2021年に入った今、このような状況が一年以上続いているので、いい加減コロナに対してうんざりしており、コロナの話題にはあえて意識を向けないで、他の、もっと希望的な話や、前向きな話などに意識を向けたいと思い、そのようなものを探し求めている方もいらっしゃるかもしれません。

私自身、色々希望的な話を心のどこかで求めており、前向きに生きるために必要そうな本などを読んで、自己啓発本などで書かれたあるように自分の理想を書き出したり、もっと、なりたい自分になれるように、夢に向けて努力できるようにと考えていました。綺麗事に思えるような事にも意味があるだろうと感じ、人を励まして、人を慰めて、誰かのために役立つ生き方が出来れば充実すると考え、考え過ぎな私は、きっとこのように生きれば、世の中が平和になり、人格も磨かれ、良い人になり、いくらか自分が価値ある人になり、心も充実して幸せなれるかもしれない。と考えたりしていました。

しかし、それだけでは、自分の望んでいるものは手に入らないかもしれないと不安は募っていました。

自分が希望を持ち続けられる事を保証してくれるものは中々見つかりませんし、希望していたものを見つけても、それらを失ってしまう不安や恐怖もあります。

希望的な話にいくら意識を向けても、自分の夢に向かってそこに意識を向けても、やはり押し寄せてくる不安や心配に所々で潰されそうになり、それらから脱却することはできないという迷宮にはまっていました。

しかし、きっとどこかに希望がある、答えがあると思いを抱き、探し求めていました。本当にひょんな事でネット検索をしていたら、ある日RAPTブログに出会いました。

どこに意識を向けて生活すれば、希望も失うことなく、この迷宮から抜け出せるのか、その答えはRAPTブログで

http://rapt-neo.com/?p=51560

http://rapt-neo.com/?p=52038

色んな人に気を揉んで疲れきったり、生活の不安や心配に気を取られてそちらに意識を振り回す必要はなく、意識を向けるのは神様だけで良かった。

心が乱れる場面がいくつもありますが、いつも戻る先は神様で、神様の方を向けば言い表せない安心感がある事がわかりました。

心の奥では答えがみつかったという感覚が湧いてきました。

神様に意識を向けるためには、聖書の知識、御言葉がなければ、意識を向け続けることは難しいと思います。

私自身まだ、世の中のモノや、ふと出てきた自分の欲に流されてしまう事もありますが。

こういう意識的な話、内面的な話を調べると、どうしてもスピリチュアルや自己啓発、最近ではマインドセットなどがあり、有名ビジネス系YouTuberなどの成功談。上級国民の成功談に当たります。

これらがすべてが悪魔教、つまり大本教の宗教思想から来ており、つまりサタンからの教えで、神様と私たち人間を引き離す考えが盛り込まれていたとは、RAPT理論に出会うまで知る由もありませんでした。

ただこう言った中でも、希望を求めて、RAPT理論に出会い、御言葉に出会い、神様のところに希望があり答えがあるという事を実感し、イルミナティの作った答えのない迷宮から救われる人が出る事を願います。

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