川崎市麻生区

【ローカル】川崎市麻生区と麻生太郎一族の不思議な繋がり。

神奈川県川崎市に麻生区という地区があります。

麻生区は、以前は多摩区に含まれていた地域で、昭和56年(1981)に多摩区から分離する動きが始まり、新区として誕生した経緯があります。

昭和56年(1981年)、川崎市は多摩区から分離する新区の名称について区名選定委員会(28名)を設け、広く居住者から新区名の募集をしました。その結果は、柿生区とするもの4256通、百合区436通、山手区268通などで、麻生区としたものは僅か156通で、柿生区が応募総数の約60%を占め、麻生区は2%に過ぎませんでした。

 それなのに区名選定委員会はなぜ新区を「麻生区」と名付けたのでしょう。それは麻生(あさお)という名が歴史的由来に価値があり新区の名称にふさわしい、としたのがその理由でした。それではその価値ある歴史的由来とは何か、また麻生という地域はどこを指すのでしょうか。

タウンニュース 麻生郷〜区名由来〜

区名決定の際に、居住者からの公募で最も多かった柿生区は選ばれず、区名選定委員会は票数の少なかった麻生区を選びました。

区名選定委員会には何か忖度があったのではないかと疑ってしまいます。

麻生区の名前の由来には植物の麻が関係しており、麻生区の近辺では、昔、麻の栽培が行われていました。ここで麻の栽培を始めた一族が「忌部氏」であったと言われています。

麻生の名の起源となる麻の栽培は、武蔵風土記稿によると「天武天皇の御世の天武元年(671年)、阿波の国より神職の一族忌部(いんべ)氏が都筑の地(早渕川流域)に渡来、苧麻を栽培し、麻布を朝廷に献上した説話」に始まりますが、この忌部氏の遠祖は古事記天岩窟の祭事を祀った神とされ、鶴見川流域に62社の杉山神社を建立、神事を併せ麻の栽培を奨めておりました。前稿茅ヶ崎神社の項には「2月春分ノ日、神供神酒ヲ献シ、神畑ニ麻種ヲ散ズ、神人等之ヲ勤ム 古ハ当郡麻生庄15ヶ村是ヲ勤ト言フ 7月7日梶葉供養、梶ノ葉ニ飯ヲ盛ッテ献ズ、梶トハ楮ノ事ナリ」とあります。楮(こうぞ)とは和紙の原料となる小木(カミノ木)の事で、「立秋ノ日、高机ニ主麻ヲ奉ジ、此麻ヲ氏子受ケテ産婦ノ守トス、此日麻生庄中ヨリ六宮宮(大国魂神社)ヘ新麻ヲ献ズ」とあり、古来この麻はこの地方の民俗文化を育んだ植物でありました。

タウンニュース 麻生郷〜区名由来〜

忌部氏と麻生太郎が歴史的に見て繋がりがある事がRAPT理論を通して明らかになっています。

元警察庁長官で政治家であった後藤田正晴が忌部氏の流れを組む末裔と言われています。そして、後藤田正晴は、朝堂院大覚を介して麻生太郎と繋がりがあります。

又、忌部氏は、麻生太郎の祖先の中臣氏と共に神事を行う間柄でした。

この記事を見ると、「忌部氏」とともに神事を行ったのが「中臣氏」とあります。
 
そして、「麻生太郎」もまた「中臣鎌足」の子孫でしたね。詳しくは以下のリンクをご参照下さい。
 
天皇家一族の重鎮「麻生太郎」という巨悪。
 
中臣氏 – Wikipedia
 
ですから、「麻生太郎」も「忌部氏」とは全くの無関係ではないということです。むしろ、かなり深い関係にあると言えるでしょう。

RAPT×読者対談〈第127弾〉イルミナティの終焉まであとわずか。

川崎市麻生区については直接麻生太郎とまではいかなくとも、忌部氏の末裔と区名選定委員会の間で何か忖度があったため、票数が少なくても麻生区に決定された可能性があります。

区名が変わる程度なら、庶民にとって大した問題ではないと思われますが、上級国民同士の忖度によって投票の公平性がなくなると、悪政を敷く独裁者のような政治家の誕生を許してしまう事態になる事があります。その具体例として衆院選のムサシ問題があります。

安倍晋三の父・安倍晋太郎が株主となっている選挙集計システムの会社・ムサシが自民党に多く票数が入るように集計結果を操作する、不正選挙を行っていたという問題です。

ムサシの不正選挙については籠池氏なども告発しています。

 

 

麻生太郎の親戚と目される俳優に坂本九がいます。

坂本九が出演した映画に「喜劇 駅前団地」があり、その舞台が西生田駅(読売ランド駅)や百合ヶ丘駅の周辺で、ちょうど麻生区も当てはまります。

坂本九は稲荷神社の神様を信仰していたようです。

戦争中の1943年10月26日に発生した常磐線土浦駅列車衝突事故で川に転落し、多数の犠牲者を出した車両に、疎開のために笠間に向かっていた坂本は母と乗り合わせていた。ただ、事故の直前に他の車両に移っていたために遭難死を逃れる。成長して周囲の人々にこの一件を聞かされて知り、「笠間稲荷神社の神様が自分を救ってくれた」として、終生信仰していたという。後には、この笠間稲荷神社で結婚式を挙げる[1]。そして、日航機事故で命を落とした時にも、笠間稲荷のペンダントが遺体の身元を特定する決め手となった[注 2]

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/坂本九

稲荷神社は秦氏が建立に関わった神社でした。

https://rapt-neo.com/?p=26552

坂本九は麻生太郎と同じ秦氏側の人間であり、こちらの観点から見ても坂本九と麻生太郎は近しい間柄である事が伺えます。

 

 

麻生区の名所の一つに弘法の松という所があります。こちらは弘法大師(すなわち空海)が植えたという伝説があります。

弘法の松

弘法大師がこの地に立ち寄り、寺を建設しようとしたが谷の数が足りずに断念し、代わりに松の木を植えて立ち去ったという伝説が残されている。初代弘法の松1956年12月に焼失し、今に至っている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/麻生区#名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

弘法大師(空海)も秦氏側の人間である事が明かされています。

  

このような事から、麻生区は川崎市の中でも秦氏にゆかりのある場所として分区された可能性があります。

 

又、麻生区役所にはこんな逸話もあるようです。

逸話

以前、区役所窓口の申請書記入例にある氏名のところに「麻生太郎」という記載がなされていたが、2008年自由民主党総裁選挙の際、麻生太郎候補と同字であることが指摘され、差し替えられた[10]

https://ja.wikipedia.org/wiki/麻生区#逸話

役所の申請書記入例に、〜〜太郎がよくありますが、麻生区役所の人達も同姓同名になるよなと気づいていた事でしょう。

 

しかし、秦氏も悪魔崇拝を行って勢力を拡大してきた一族です。

そのため、秦氏の支配が決して良いということはありません。

歴史の隠された真実が広まる事を願いますし、私としても庶民にとって公正・公平な世の中に変わっていく事を願います。

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