死ねば楽になる、という考えは危険。神様の御言葉に従わず、心がうめき苦しむ中で死んだら、死後もその苦しみが続いてしまう。
死んで楽になろう、という言葉を聞くことがあります。
死ねば苦しみから逃れられる、と考えられ、死んでしまいさえすれば、楽になれるというような
自殺を選択する人の中で、このような考えを持っている人がいることも可能性として考えられます。
しかし、死後どうなるか分かっている人はいるでしょうか。
死んだ後、自分がどうなるか分からないけど、ただ、生きているのが辛いから、死んで今の状況から逃れようと、その場しのぎの考えで、自殺をしてる人がいるのではないかとか考えられ、死後のことを何も考えず、自殺をするのはかなり危険と言えます。
人は死後どのような運命を辿るのか、はっきり分からないままというのがありました。その謎について、RAPTブログに出会ってから分かるようになり、RAPTさんが聖書の内容から、死後の謎についても筋道が通る形で解き明かして下さっています。
自分が悪を行うことを悔い改めず、心がうめき苦しんだ状態で自殺をしてしまったら、その後も、サタンに同調して、仕事も、うめき苦しみながら、サタンの配下で生きなければいけない、そのような危険性があり、安易に自殺をしてしまうことで、取り返しのつかない事になってしまいます。
サタンのことや霊界のことを知らなくても、場合によって、安易な自殺は、迷惑になることがあります。例えば電車に飛び込み、電車を止めて、遺族を悲しませ、遺族に莫大な賠償を負わせるなど。
心の苦しみ、心の上乾く感覚は、神様を知らないことで、霊魂が苦しみ、それが苦しみとして心や身体のどこかしらに感覚として伝わってくる。
そういった心の奥にある苦しみは、神様の御言葉に出会わないと満たされない、という事をRAPTブログに出会ってから、知り、そのこも体感としても感じています。
心が苦しいか、神様の愛を感じてその恵み深さを感じるかの違いは、世間の常識では聞くことはありませんが、考えられる以上に大きいものです。私自身もそう感じています。
何かつきとまとう不安や心配は、神様に祈る事を抜きには、心から拭われて行くことはないでしょう。
私自身は、自殺をしようと考えることはありませんでしたが、悩みや、取れない心配に見舞われることが幾つもありました。自分は将来病気になって動けなくなるだろうか、身近な人に不慮の事故が起きないか、いつ身近な人達に不幸が起きないか、大地震が起きて町が壊滅しないか、自分もそれに巻き込まれないかと考えがよぎったりなど、、、、不安に駆られることが頭をよぎり、それらに心が苛まれることがありました。
しかし、RAPTブログに出会ってからそのような不安によって心が苛まれることはなくなっていき、神様に祈る事で、心の不安がとれていき、不思議なことに実際に大きな地震に見舞われこともなく、首都直下地震、南海トラフ地震が起きませんようにとお祈りしていた中で、神様が守ってくださっと考えられるように関東で大地震も起きませんでした。
心のどこかで自殺したくないと考えている人もいるはずです。
死んだら楽になる、という根拠不明な話を間に受けてしまう事なく、RAPTブログを通して、神様に祈り、不安や苦しみから解かれ、無神論の洗脳から解かれる方が増えます事を祈ります。
神様に祈ることで、自分ばかりでなく、誰か他の人の自殺を止めること、そのようなことも出来得ることさえあります。