東急,  鉄道全般,  鉄道社会問題,  阪急

東急と阪急は歴史的に繋がっていた。

阪急阪神と東急が、「SDGsトレイン」という、SDGsを宣伝する車両をそれぞれ運行させるコラボ企画が行われ、それに合わせて東急の中吊り広告にも、SDGsトレインコラボを宣伝するものが吊るされているみたいです。

https://tetsudo-shimbun.com/article/topic/entry-3510.html

阪急は主に、京都・大阪・兵庫に路線を持っていて、東急は東京・神奈川に路線を持っています。

それぞれ関西と関東を走っているので、違う地域を走っていますが、この2社は歴史的に見て繋がりを持っている会社です。

東急電鉄は、いくつか会社を買収したり、会社が独立していったりとを形を繰り返してきました。

東急電鉄は、そのルーツが「田園都市株式会社」という会社にあり、渋沢栄一らによって創設された会社になります。

渋沢栄一がその会社の経営に困っているときに、知り合いづてにアドバイスを求めて、紹介された人物が小林一三だったと言われています。

 1921年(大正10年)4月、渋沢栄一が45万坪の土地を抱えていた田園都市株式会社の経営に困っている時、既に大株主になっていた矢野恒太に経営も見てくれないがと相談した。しかし田園都市株式会社は、中野武営や服部金太郎などそうそうたるメンバーが参加していたが「事業のほうは経営者が素人ばかり」つまり設立当時はとても営利を目的としている企業とは言えず矢野恒太も困り、同じ第一生命の役員であった和田豊治が「関西の小林一三に知恵を借りたらどうか」とアドバイスした。同年6月、矢野は小林に会って助力を求めた。最初は固辞したが、なんとか説得し上京して話だけでも聞くだけならと、小林は月に一度上京し役員会に出席するようになり、実質的に田園都市株式会社を経営していった[20]。小林は名前を出さず、報酬も受け取らず、月に一回日曜日のみ、という約束で経営を引き受け、玉川調布方面の宅地開発と鉄道事業を進めていった[21][22]

https://ja.wikipedia.org/wiki/田園都市_%28企業%29

 

「小林一三」は、阪急電鉄の創設者になります。

https://ja.wikipedia.org/wiki/小林一三

 

その後、小林一三が、田園都市株式会社の経営を引き受けるあたって、自分の計画を実行できる人物として、五島慶太を推挙して役員に入れてもらい、五島慶太が田園都市株式会社の鉄道部門を引き受けたと言われています。

既に田園都市株式会社を経営していた小林一三はその役員会で「僕が毎月上京して役員会で方針を定めて行くが、さっぱり実行出来ない。呆れてものも言えぬ。実行力のある人を役員に入れて貰わねば、せっかく毎月来ても何にもならぬ」と自身の代わりに鉄道省出身で未開業の武蔵電気鉄道(後の(旧)東京横浜電鉄、現在の東横線の母体)の経営に携わっていた五島慶太を推挙した[24][25]。 そして、鉄道部門を分離独立させることとなり、1922年(大正11年)7月22日、 目黒蒲田電鉄株式会社発起人総会(代表竹田政智)が開催される。この総会における決議事項は以下の通り
1、 田園都市株式会社から鉄道敷設権(大井町 – 調布村、大井町 – 碑衾村間)の譲受
2、武蔵電気鉄道株式会社(後の(旧)東京横浜電鉄、現在の東横線の母体)から鉄道敷設権(調布村 – 蒲田間)の譲受
同年9月2日、目黒蒲田電鉄株式会社(資本金350万円)創立総会が開催され、五島慶太が専務取締役となり、以後の経営にあたる。この時五島は、小林一三から「荏原電鉄(後の目黒蒲田電鉄)を先に建設し、田園都市の45万坪の土地を売り、その利益で武蔵電鉄をやればいい」と説得され専務就任を決心したという[26]

https://ja.wikipedia.org/wiki/田園都市_%28企業%29

 

五島慶太が引き受けた鉄道部門を、当時「目黒蒲田電鉄株式会社」といい、その後、合併を繰り返して、東急電鉄になっていった歴史があるようです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/目黒蒲田電鉄

五島慶太は東急グループの中で、名が知れた人物ですが、彼が東急電鉄の社長に就くきっかけを作ったのは、阪急の小林一三だったという歴史があります。

このように歴史的に見ると、今の東急電鉄は、阪急の小林一三によって生まれたとも言えます。

 

鉄道と一緒にデパートを作り、鉄道沿線に住宅地を整備し、鉄道沿線の生活圏を作り、そこから都市圏へと通勤するという形を作った阪急の小林一三のやり方に倣って、五島慶太も東急沿線のデパートや住宅地の開発を積極的に行ったという背景があるようです。

会社員として働くのが、当たり前であった時代は、小林一三のやり方が、鉄道経営の王道となってきました。

サラリーマンとして都市圏へと働く人が、以前に比べて減っているということがあります。

コロナの時にリモートワークの推進で、通勤需要が多少減ったということもるでしょう。

それと、終身雇用の崩壊が進み、マイホームを持つことへのこだわりも以前ほどなく、会社に就職したら40年ほど毎日利用するという生活も崩れたてきているため、鉄道の需要にも変化が出ていると思われます。

 

一つ考えられるのは、鉄道沿線の治安が悪くなればヤクザや犯罪組織と関わった人が沿線に増え沿線治安は悪化して行きます。また、鉄道会社が得た個人情報が簡単に漏れるなどプライバシーを意図的に侵害する行為があったりすると、利用者から不信感も募ると考えられます。

このような問題は、日本国内でも起きているため、鉄道利用客や沿線住民の平和な暮らしを妨げる要因ともなり得ます。

 

時代が変わり、日本の状況もこれまでと変わってきています。

神様から祝福を受けることで、鉄道など交通機関も守られ、存続することができるでしょう。

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