バス転換された都心の路線、玉電砧線
利用者が減って採算が取れなくなった路線を、バスに転換する、いわゆる鉄道路線のバス転換が行われてきており、ローカル線の存廃と共に議題に上がっているテーマでもあります。
日本で鉄道が開業した1872年から、日本各地に鉄道路線が敷かれ、時代とともに廃止になった路線も沢山ありました。
東京都を走る鉄道の中でも、廃線後にバス転換された路線があり、今回はその路線で「玉電」と転換後の「玉06」という系統のバスに関する記事になります。
東急バス「玉06」系統が通るルートには、東急玉川線の砧線という路面電車が走ってました。
線路が敷かれていたルートとまるっきり同じ場所をバスが通っている訳ではありませんが、おおよそそのルートが並行しており、路面電車時代の停留所名が近くに設置されるなど、砧線がバス転換されたものが東急バス「玉06」系統であると言えます。
東急砧線は、東急玉川線の支線となっていますが、元は、東急電鉄の路線ではなく、玉川電気鉄道という会社が敷いた路線で、多摩川の砂利を都心へと輸送する砂利輸送を目的としてスタートした路線だったそうです。
玉川線は、溝の口から多摩川を渡り渋谷駅へと通じ、その先の渋谷橋という駅へと通じ、またその先の中目黒と天現寺橋へと分岐して通じていたようです。
溝の口から渋谷の区間は2023年現在、東急田園都市線が走っています。路面電車ではなく通常の鉄道が走り、二子玉川から渋谷の区間は地下化されています。
玉川線電気鉄道には、下高井戸線という支線もありましたが、これは、のちの東急世田谷線として受け継がれています。
世田谷線は、軌道線といって路面電車と同じ法的な分類されており、道路と併用の線路は殆どありませんが、床の低い2両編成の電車が走りホームの床が低く、路面電車の姿をした形で残っています。
砧線に戻りますが、砧線は1969年に廃線されました。
1969年頃は日本の高度経済成長期と言われ、都心に近い二子玉川周辺に人口が増えていくことで、砧線の利用者も増えていく見込みはあったと思われます。
よく赤字ローカル線が廃線される理由に利用者の減少が見られますが、砧線の場合は違いそうです。
こちらの地図にあるように、砧線は国道246号線「通称246」を横断する形で線路が敷かれていました。
当時、国道246を跨ぐ跨線橋はなく、踏切で渡っていたため、自動車に止まってもらう形となり通行の妨げとなる問題があったようです。
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玉川線は砂利輸送を行っていたことからジャリ電と呼ばれていましたが、車の往来を阻害することからジャマ電と揶揄されてしまうこともあったそうです。
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玉川線が廃止されたのち、それぞれ路線の走っていたところをバスに置き換えられ、いわゆるバス転換され、砧線もバス転換されます。
砧線がバス転換された路線が、「玉06」と言う系統になっています。
玉06の時刻表を見ると、概ね15分に1本の間隔で運行されていました。
こちらの図の中の赤線が「玉06」バスのルートになりますが、8の字を描いているような不思議なルートです。
二子玉川駅前を出発して、右に曲がり上側のルートを通って進み、「吉沢」バス停付近でまた右に曲がり、終点の「砧本村」停留所へ向かうルートを取っています。つまり行きは砧線の跡をほぼ並走するルートを取ります。
帰りは砧本村を折り返さず、また上側のルートを通って進み、分岐して多摩川の支流の「野川」沿いに駅へと戻ってくるため、行きと帰りで別のルートが取られるバス路線となっています。
以前、停留所に、このような青い屋根の建物がありました。これは玉電砧線時代にホームに設置されていた屋根を移設して使っていたようです。
玉電時代の砧本村駅。上のバス停留所とは少し違う場所にあったようです。
砧線の廃線跡には砧線が走っていたことを示すマークや石碑が残されています。廃線跡を散策しながら遺構やシンボルがいくつも見つけられ、廃線散策としても定番になっているみたいです。
二子玉川駅前にはビルが立ち、駅も高架化され、玉電当時の面影は殆どありません。
恐らく、上の写真の駅ビルのあたりに玉電のホームがあったと見られます。
玉電が廃線になったのち、二子玉川から渋谷の間は、新玉川線として地下化された鉄道がトンネルを走り、田園都市線と直通運転されるようになりました。(2000年に「田園都市線」に名前を統合)
新玉川線の総延長は9.6kmあり、そのほとんどの区間は地下線になっています。
地下線が着工されたのが1972年11月で、1975年8月に全線が貫通しました。1975年9月の開業を目標としていましたが、渋谷駅の駅部分が難工事となり、開業は1977年4月となったようです。
第4章 第2節 第2項 新玉川線の第二期工事開始から開通まで
新玉川線のトンネルを掘る工事自体は、3年弱だったことになります。