
日本にある小高い丘は、古墳であるケースが多い。
日本の住宅街には、古墳が残っていることがしばしばあります。
私の住んでいる地域でも、古墳の跡地があり、公園になっているケースや、遺跡として市が保存しているものがあります。
周りより高い場所にあるので、景色を望める場所になっていることがあります。
一見するとただの小高い丘が、古墳であったりするケースもあります。
例えば、こちら↓の横浜市緑区にある「古墳」という場所は、NTTの敷地内にあるもので、一見するとただの土が盛り上がった場所です。

Googleマップで、「古墳」と検索すると、たくさんの場所がヒットします。
本当にたくさん出てくるため、日本は古墳だらけだということがわかります。
今回、私が行ったこと通ったことのある場所、もしくは、その近隣にあるものをいくつかピックアップしています。
・市ヶ尾横穴古墳群
こちらは横浜市立市ヶ尾小学校の隣の公園にある古墳です。
小学校の他、周りは住宅街となっており、公園のところだけ少し高くなっており、小高い丘であるがゆえに、周りに道路を作る際に、コンクリートの擁壁で周りを囲っています。
公園の中に入り、坂を登っていくと、鬱蒼とした森の中に、横穴式の古墳を見ることができます。
横浜市青葉区のWebサイトによると、刀・土器類などの遺物が発見され、何らかの儀式が行われていたと考えられているようです。
市ケ尾横穴古墳群は、6世紀後半から7世紀後半にかけて、作られたA群12基・B群7基の計19基の横穴墓からなっている。昭和8(1933)年と昭和31(1956)年に発掘調査が実施された。前庭部と呼ばれる横穴墓の入口前の広場部分から刀・土器類などの遺物が発見され、死者を祀る何らかの儀式が行われていたと考えられる。また、各横穴墓の内部の構造には各種の形式が見られ、時代とともに次第に変化していった様子がうかがえる。昭和58年にA群、平成6年にB群の保存整備が実施されている。
https://www.city.yokohama.lg.jp/aoba/shokai/bunkazai/a/bunkazai006.html
・稲荷前古墳群
こちらは、先ほどの市ヶ尾横穴古墳群からそう遠くない場所にあります。
住宅街の端っこに、小高い丘のような形で残されていて、階段を登って丘の上まで行けるようになっています。
階段を登ったところが保存された古墳になっています。
比較的ひらけた場所にある古墳ですが、木や、葛の生い茂った柵に囲まれており、下の道路からは中々見えません。
古墳’群’と言われるだけあって、かつては、前方後円墳、前方後方墳、円墳、方墳、計10基の古墳と、3つの横穴群が所在していたそうです。

保存されているのは15号基、16号基、17号基の3つです。(15号機・方墳、16号機・前方後方墳、17号機・方墳)
10基見つかっていますが(他の3つの横穴墓はA,B,Cで表記されています)、16号基や17号基と表記されているのには疑問が浮かぶところですが、本当は10基以上存在しているんじゃ無いかとも思われています。
https://blog.goo.ne.jp/rekishi-nazo/e/34c94c96f3f2a59f40dc1048e348c0fe
古墳からは、管玉・ガラス小玉などの玉類、鉄刀・鉄鏃などの鉄器、耳環などの副葬品が発見されているようです。
・能ヶ谷香山古墳群
東京都町田市にある能ヶ谷香山古墳群です。
外から見ると、小高い丘の上に薮が生い茂っているような場所です。
道路を通すにあたって、側面はコンクリートの擁壁で土止めされ、恐らく工事される以前は麓がもっとなだらかに広がっていたのだと思われます。
こちらのサイトに昔の写真が載せられていました。
能ヶ谷香山古墳群のある場所は、江戸時代の1794年に、「鶴川中風灸治所」という「お灸点」として地元の人に親しまれてきた場所であったようです。
1996年には「香山園」庭園としてオープン。
その後、市立公園としてリニューアルしています。
能ヶ谷香山古墳群には、古墳時代に造られた円墳や横穴墓が残されています。
横穴墓群からは、副葬品として、耳環、勾玉、直刀などが出土したと言われています。
町田市立「鶴川香山園」を散策してみた!日本庭園を眺められる和食レストランや喫茶室も
・第六天塚古墳
こちらは、東京都世田谷区北見にある古墳で、竹林に覆われた丘が古墳になっています。

古墳時代中期(5世紀末〜6世紀初頭)に作られた円墳で、世田谷市教育委員会によって調査が行われた際に、多数の縁筒埴輪片が発見されたと、世田学教育委員会の設置した看板に書かれています。
また、”「新編武蔵風土記稿」によると、江戸時代中期に第六天が祭られ、松の大木が生えていたと記載されていた”と書かれ、”その松の木は大正時代に伐採され、その際に中世陶器の壺と鉄刀が発見されており、同墳が中世の塚として再利用されていたことも考えられる。”と書かれています。
https://maps.app.goo.gl/Lrg7NcZG8KAZ7sLQ9
古墳は、古墳時代に作られ、中世の時代に塚として再利用され、江戸時代には第六天を祭る場所として使われていました。
このように、この古墳は、再利用されてきたことがわかります。
「第六天」ですが、織田信長が自らを第六天魔王と自称していたことがあり、第六天魔王は、天照大神に逆らうものを懲らしめるとの誓約を交わした魔王と言われています。
織田信長と徳川家康とイエズス会の因縁の関係。関ヶ原の戦いは「イエズス会」と「エリザベス一世」との代理戦争でした。
天照大神は、女の神とされていますが、日本のみに存在していた訳ではなく、実は外国にも存在していて、旧約聖書に出てくるアシュトレトと同一神であることが指摘されています。
「天照大神」と「スサノオ」の正体。またはルシファーの正体。彼らこそが悪魔の三位一体です。
また、アシュトレトは、悪魔であるアスタロトと同一の存在になり、悪魔崇拝者の間で拝まれてきた対象であることがRAPT理論を通して暴かれています。(上記リンク参照)
実は古墳のあった場所は、神社へと転用されるケースが珍しくありません。
古墳から神社へ
古墳時代から神社の原型が形成されていったとされています。この過程で、古墳と神社の関係も徐々に変化していきました。
〇祭祀の場としての古墳 〇
古墳は単なる墓所ではなく、祭祀の場としての機能も持っていたと考えられています。これは後の神社の役割と重なる部分があります。
〇古墳上の神社 〇
多くの場合、古墳の上に神社が建てられることがあります。特に白山神社が古墳上に建てられるケースが多いという指摘もあります。
https://shochan21.com/2127/
神社に転用することで、簡単に土地が買われることが減り、掘り返される可能性が低くなります。
実際に、古墳のある場所は、鬱蒼とした場所も少なくありません。
悪魔崇拝の儀式が行われてきた場所であれば、陰鬱な雰囲気になることがあります。
古墳からは様々なものが出土しますが、中には人骨が出土するケースもあります。
住宅開発が行われる際に、保存される古墳と、保存されずにそのまま宅地開発される古墳がありますが、そういったものには、幾つもの人骨が地中から出てくるため、宅地開発しなかったケースもあるでしょう。
日本の古墳も生け贄儀式を行うためのドルイド教の祭儀場でした。
「ドイツのストーンヘンジ」で人間が生贄とされた痕跡が見つかるhttps://t.co/OOZGaRDcst
— Vivienne7 (@Vivienne7_) December 2, 2018
悪魔崇拝の生贄儀式が行われていた跡
が発見された!
「ストーンヘンジ」がドルイド教の生け贄儀式の場として使われてたhttps://t.co/YgAgeGI6hv
日本の古墳も生け贄儀式を行うためhttps://t.co/rBa4dK2AAL
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