余計な力を入れない事について。また正しいインスピレーションを受けるために。
余計な力が入ってしまってしまうと、上手くいかないという事があります。
例えば、野球選手がボールを投げる時に力を入れて投げない、と野球をやっている知人から聞いた事があります。
変に力が入ってしまうと、関節を痛めてしまう事もあるでしょう。
ダンスをやっている時も、変に力が入った状態で踊ると、動きが固くなってしまい、激しい動きの際は関節を痛め怪我をしてしまう可能性も高くなります。
余計な力を入れないでパフォーマンスができると言うのは、ある意味要(かなめ)になってくる部分でもあります。
ただ、早い球を投げるために力が必要ですし、ダンスでも力がない踊りでは豊かな表現が出来ませんし、ブレイクダンスでもグルグル回るパワームーブやアクロバティックな技をするために力が必要です。
何かを行うには明らかに力が必要な事も確かです。
ところが余計な力を入れないでパフォーマンスするというのは、力が抜けているようにも聞こえ、相反します。
「チカラ加減をこれくらいにしよう」と考えながらやるパフォーマーはあまりおらず、本番となると、そのように考えながらやっている暇はありません。
また、リラックスしてできる事が大事という考えに偏りすぎると、リラックスしてやる方向に重点を置きすぎて、新しいことを習得していこうといった意欲など、向上心につながらない問題もあります。私の体験としてもそういう事がありました。
余計な力というのは不自然な力とも言えますが、逆に、自然に力が入った状態とはどのような時に出せるのでしょうか。
自然に力が湧いてくる状態というのは、ある意味、人間が正常な状態で動いている、という言い方もできると思います。
正常な状態で動くと言っても人間がどのような状態が正常なのか、それを考えても、これまたハッキリとした答えを見つけるのは難しいです。
人間が何かをマシンを作ったりした時に、そのマシンが正常に動いているかはそのマシンの設計者と製作者がよく分かっています。
どこかバグが生じたり、部品が軋んでいたり、異音がしたりとトラブルに見舞われた場合に、そのマシンを作った人はどこが悪いかを調べ上げて、メンテナンスを行い、(メンテナンススタッフを派遣する事もありますが)正常な動作ができるように回復させる術を知っています。
人間においても、人間をつくった方が、どのようにしたら人間が正常な状態で動けるか、というのを知っていると考えられます。
人間を作った方に、天地万物を作った神様がいらっしゃると聞いた事がある方もいるかもしれません。
(ここで人間は猿から進化して生まれたとする進化論の意見もありますが、西洋のキリスト教国をはじめ神様を信じている人が世界中に沢山いる事も事実です。)
神様がどのようにして人間を正常な状態に導かれるか、そちらがRAPT理論によって解き明かされており、RAPTブログ内でご紹介されています。
RAPT×読者対談〈第112弾〉現代科学の知識はどこまで本当か。
RAPT有料記事163(2017年4月15日)人間は神様の御言葉によってプログラムされ、聖霊という電磁波によって動く超精密なコンピューターだ。
パフォーマンスをするにあたって、神様と繋がれるかというのは結構大事だと思います。
パフォーマンスを行うにあたって、斬新なことをするために、インスピレーションを求める事があります。
RAPT理論で暴かれたように、この世の中には、サタンの文化・芸術というものが蔓延っていたため、何かインスピレーションを受けようとしても、サタンの文化・芸術を通して新たな知識や題材を得るほか道がほとんど無かったので、知らず知らずのうちにサタンや悪霊からのインスピレーションを受けてしまう事が多いという問題がありました。
そして、インスピレーションを受けるために麻薬を行うというのが、業界によっては常態化している場合もありますが、大麻などの麻薬をやって、その人は、どれだけパフォーマンスを向上できるでしょうか。
大麻をやっているダンサーは海外にも沢山いますが、彼らが皆、大麻によってダンスで成功できているかというとそんなことはありません。
もし、成功に「大麻が必要だ」「大麻は素晴らしい」と謳って、現に成功をしている人がいるとしたら、その人は上級国民であり、その血筋とコネクションによって成り上がっている可能性が高いです。
大麻は悪魔崇拝に使われる麻薬でもあり、サタン・悪霊と通じるための麻薬であると考えられます。
現に、麻薬に傾倒している人は、淫乱な事を好んだり、タトゥーなどのサタンの文化芸術へと傾倒している場合があります。
そして、サタンは人間を正常な状態どころか異常な状態へと持っていってしまいます。
一時はいいように見えるものを与え一時的な欲望を満たすために必要以上のものを与えますが、そのサタンの考えを行い続けることで心身ともにボロボロになってしまう事があります。
これについてもRAPT理論で様々な悪魔崇拝への入り口がある事が暴かれていますが、世の中に浸透しているもので分かりにくいものもあり、ヴィーガンやスピリチュアルなども含まれています。
コツコツ行う事は、ブレイクダンスにおいて大技を習得する過程で誰しもが通る道でもあります。
もちろんダンスだけには限らないと思いますが、コツコツ行う事に希望を持ちながら臨んだ経験をした方もいるのではないでしょうか。
10代20代の若い時は、何かコツコツ行う事に夢や希望を持って行いやすいと思います。(個人差はあると思いますが、私の経験ではそんなように感じてきました。)
歳をとるにつれ、希望をもってコツコツ行うということも難しくなると感じます。ダンスにおいては体力という面も関係してきますが。ただこれも若い時は無駄な動きが多かったという場合もあります。
神様はコツコツと行う過程で恵を与えてくださるから、心が虚しくなる事なく、むしろ満たされた感覚で行うことができるので、神様に求めて行うことでコツコツ出来なかった人もコツコツ行えるようになるのではないでしょうか。
RAPT有料記事125(2016年12月3日)神様が与える祝福とサタンが与える祝福の違い。
RAPT有料記事469(2020年5月25日)人やサタンはあなたの願いを叶えてから、その後、返せない借りを返せと要求してくるが、神様は先ずはあなたに義の条件を立てさせてから、あなたの願いを叶えられる。
何が自分に向いているかも、自分では知り尽くせない部分があります。しかし、神様に、祈り求めることでそれらも見つかっていくはずです。
私自身、今はダンスより、幼い頃に好きだった電車について調べて情報発信をしていくことをしています。
もちろん、これで私に向いているものが全て見つかったという事ではありませんが、神様に祈り御言葉を聞く中で見つかったもの(見つかるように導いて下さったという表現の方が正しい気がしますが)です。
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