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地方財政が圧迫される恐れのある偶像崇拝の文化。

よく駅前や、駅周辺の道路や広場などに、銅像や石像が建てられているのを見かけます。

地方では、都心に比べて、そのような物が目に入ることがあり、目立った場所に像が置かれている印象があります。

ある地方の県庁所在地に行ったときに、歩道にアンパンマンの石像が建てられていたのを見たことがあります。

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アンパンマン像は、販売されている像の中では比較的メジャーなようで、ネット上で何種類も見つかりました。

大きさや仕様によって価格は異なっていますが、例えば、高さ120cm、重さ1100kgのアンパンマン像で、価格が110万円のものがありました。

https://item.rakuten.co.jp/lapis1021/anpan-1200/?iasid=07rpp_10095___e6-ler98xu4-76-2e4d5236-3448-4830-8fdf-d9c7c1720556

この例を見ても石像の値段はそこそこ高いということが見て取れます。

 

また、その他の例に、高さ約255㎝、幅約130㎝、奥行約130㎝のサイズの「七福神 布袋様」の石像では、価格が280万円(税別)となっているものがありました。

https://www.masuki-gardenart.com/SHOP/m-0045.html

石像の購入は、本体価格の他に、別途、運搬料や設置料がかかり、本体価格の他にプラスで費用がかかることになります。

 

地方の財政は厳しいところが多い、という話を聞きます。

財政が厳しい中でも、偶像を設置をされているところが多く、中には比較的新しそうなものも見かけます。

しかし石像や銅像は決して安いものでなく、これらをいくつも設置することで数千万と、その費用がかかっていることは間違い無いでしょう。

それらの像の需要もどれだけあるのか、果たして像の設置は、市民や観光客から求められていることなのでしょうか。

大金をかけてまでも、市民から設置が望まれているようなものなのでしょうか。

 

世代が代わるにつれ、石像や銅像を拝むということはしなくなってきているとは思います。

もちろんアンパンマンを拝む人はいないと思いますが、観音像や不動明王像、仏像など、その類の像をありがたく思う人は日本の伝統から考えて、一定数いると思われます。

また像を作りたがることには、業者との癒着もあるかもしれません。

ただ、本来公平な税金の使い道を選んで行かなけれいけない政治家が、業者と癒着して関係者との間で税金を回してボロ儲けをしていい訳はありません。

「考え無しに偶像を置くのはやめたほうがいい」という話が進められているという事も(地方の街並みを見た時に)あまりないような気がします。

 

個人的には銅像や石像が立っているのを見て、どこか不気味な雰囲気がする、というのを感じることがありました。

特に夜、あまり明かりもないような暗い場所ではそういった偶像がより不気味さを醸し出しているのを感じられます。

そして、そのように感じる方もまた一定数いるのではないでしょうか。

(アンパンマン像ではまだそこまでではないかも知れませんが、神社仏閣にある石像や路肩にある石仏は、かなり不気味な雰囲気があります)

またアンパンマン像を子どもは喜ぶのでしょうか?

偶像からそのような不気味な雰囲気が漂っていることは、単に気のせいではなく、そう感じるのことにもきちんと原因がありました。

その原因をRAPTブログに出会った時に知り、そこに明確な根拠があることが分かりました。

https://rapt-neo.com/?p=28735

巷では「あの人は霊感がある」といったフレーズを聞くことがあります。

日本でも見えない「空気を読む」ということが言われてきました。(コロナ以降はかなり減った気がします。)

人は見えない何かを感じることがあります。

偶像の周りには悪霊やサタンが群がり、その霊の存在を感じることで、不気味な波長が伝わってくることがあったということがRAPT理論を通して分かりました。

人は波長から影響を受けていることがRAPT理論を通して知ることができ、普段生活をしている中で、何か嫌な感じがする、何か楽しい、何か軽い、何か重たい、といったことを個人的に感じていますが、その謎についてもスッキリとしました。

悪魔崇拝者たちは、偶像の不気味さを言い換えて’威厳’とか’厳格な空気’とか巧みに表現を変えて言い表し、人々を洗脳してきたかも知れません。(偶像を信じている人は本当に厳格だと認識しているかも知れませんが、サタンの厳格さは理不尽です。神様と違って公平ではありません。)

聖書には、偶像が悪霊と関わっていることが書かれています。

コリントの信徒への手紙一/ 10章 20節
いや、わたしが言おうとしているのは、偶像に献げる供え物は、神ではなく悪霊に献げている、という点なのです。わたしは、あなたがたに悪霊の仲間になってほしくありません。 

RAPT理論を通して、この世を支配してきた人々は悪魔崇拝を行っており、彼らが意図的に聖書の反逆をさせるように、庶民に仕向けていることが分かりました。

https://rapt-neo.com/?p=16786

実際に偶像を寄贈している団体名を見ると、悪魔崇拝者が支配してきたフリーメイソンから派生した「ロータリークラブ」であったりします。

https://railway-of-life.com/wp-admin/post.php?post=10707&action=edit

「悪魔」と「悪霊」の違いについて。「イルミナティ」と「フリーメーソン」の違いについて。(2)

 

偶像を拝むか拝まないかは、個人個人の内面の自由となるので、最終的には個人の判断にはなりますが、偶像にはこのようなルーツがあります。

 

そして霊的な影響というのは悪いものだけだなく、むしろ良いものもあります。

悪魔に打ち勝ち、自分の心身を守る方法。祈って聖霊を受けることが、悪魔を滅ぼす最大の鍵です。

良い影響を受けるなら、心の中の不安や苦しみも取れていきます。

そして神様に祈ることに大金も必要もないため、その方が余計な財政の負担もなく、一般人にとってもメリットとなる点は多いのではないでしょうか。

このようなことがあることを一人でも多くの方に知っていただけたら幸いです。

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