聖書に書かれた罪を悔い改めることで、人間関係の重荷が減っていく。
昨今は、人間関係で悩みを抱えるのが当たり前になっています。
ネット検索エンジンで「人間関係」と入れると、候補のキーワードに「悩み」というものが表示されることもあります。
私自身も人間関係で悩みがずっとありましたが、RAPTさんのブログに出会い、神様を信じることで、そういったことも無くなっていくと、経験から感じることがありました。
小学校では、クラスにいじめてくる人もいて、いつ嫌なことを言われたり、嫌なことをされたりしないかと、警戒心を持っていました。
中学・高校と進学すると、また別のことで周りの人間関係での悩みが増えていきます。
社会で仕事をするにも、職場での人間関係に摩擦が生じることへの不安や、クレームを言われることが気になるなど、その行く先々で気掛かりなことが発生していました。
弱肉強食の価値観が根付いる社会では、人と接していくうちに、自分も何かでマウントを取っていないと、人付き合いをやっていけないかのような考えになり、虚栄心を持ちたくなくても自分を良く見せることが度々あります。
RAPTブログに出会い、聖書に書かれている罪が自分にとって害になり、周りにも悪い影響を与えることを知り、聖書に書かれた罪を悔い改めて、罪がなくなるように神様に祈り求めることをするようになりました。
自分が好き嫌いで人に悪意を抱くことや、相手を見下す高慢がなくなるように神様に祈り、人との関係においても変化があったと感じます。
自分を強く見せていないと、かえって周りから舐められたりしそうですが、以前に比べて、ちょっかいを出されることも減り、相手の闘争心も変に掻き立てないようになったと感じます。また不思議とその場の雰囲気が変わり、神様が霊的に守ってくださったと感じることがありました。
嫌なことを言われることもありますが、そこに悩むより、自分の弱点を克服して、御言葉を学んで神様が喜ばれることを探す方が良いと考えを切り替えることで、世間でいう人間関係の悩みが小さく見えるようになっていきます。
また、以前は何か言われたときに、本当に自分が悪いのか、相手が悪いのか、判断がわからなくなることだらけでした。
聖書や御言葉には神様の善悪の基準が記されており、あまりにしつこい悪口を言われたり嘘の偽証を立てられた時に、必要に応じて言い返すことも徐々にできるようになりました。
真に罪を悔い改めるなら、自然体で生きながら、自然と評価されるようになると伝えてくださっています。
VOL.486 主は私たち人間の心の内を全てご存知だから、心の中にある罪をすべて悔い改め、心の底から新たに生まれ変わらなければならない。
心の底から新しく生まれ変わり、根本的に人間が変わることができる真理を伝えてくださっているのはRAPTブログです。