名鉄パノラマカーや小田急ロマンスカーなど、前面展望席のついた車両の元祖はイタリアの「セッテベッロ」。無神論の日本では、創作性に富んだデザインが生まれにくい?
日本には、前面展望席をもつ列車があり、小田急ロマンスカーや名鉄パノラマカーなどが、代表的なものとしてあります。
小田急や名鉄を利用したことのある方なら、これらの車両をご存知の方も多いかもしれません。
名鉄パノラマカーは2009年に引退し、2024年現在は走っていませんが、前面展望席を持つ後継車両にパノラマスーパーという車両が走っています。
小田急ロマンスカーでは、前面展望席を持つ車種がNSE、LSE、HiSE、VSEと何種類も登場してきましたが、現在(2024年)、通常営業で走っている前面展望席車両は、GSEの1車種のみになります。
それぞれの前面展望席車両が登場した年は、名鉄パノラマカーが、1961年。小田急ロマンスカーでは1963年でした。
なので、日本で前面展望席車両が登場したのは、名鉄パノラマカーの方が早く、恐らくそちらが日本初だと思われます。
前面展望席の車両は、それ以前にイタリアで走っており、イタリア国鉄ETR300形、通称「セッテベッロ」と車両です。
この「セッテベロ」が登場したのは1952年のことでした。
https://ja.wikipedia.org/wiki/イタリア国鉄ETR300電車
wikipediaによると、「セッテベッロ」の車両製作は秘密厳守のもとに進められたそうです。
車両の製作期間中は秘密の厳守がされ、製作に携わる労働者の間ではセッテベッロ(Settebello)と呼ばれていた。セッテベッロの名は直ぐにメディアに知られ、公式に採用された。車体の塗装にも愛称に由来するトランプのロゴ(トランプゲームの切り札から)が施されている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/イタリア国鉄ETR300電車
セッテベッロのデザインが、何かを参考にして作られたのかは判りませんが、これより古い車両で前面展望席を持つ列車は、一応知る限りでは見たことはありません。
名鉄で、パノラマカーの開発が行われていた当時、副社長の土川元夫は、実際にイタリアへ視察に行っており、セッテベッロを気に入っていたと、wikipediaに記載されています。
ただ、名鉄開発陣はセッテベッロのような車両を作る、とは言わなかったそうで、以前から前面の景色が見える車両を作りたいという構想があったと、そのように読み取れる文章がwikipediaに記載されています。
「パノラマカー」と「セッテベッロ」を見比べ見ると、パノラマカーは、パーツや窓の配置など、セッテベッロの影響を受けていると感じます。
小田急ロマンスカー初の前面展望車「NSE」は、パノラマカーとまた似ているのですが、側面の窓の形や、連接台車という車両と車両の間に台車を置く構造など、セッテベッロから持ってきた部分もあるように思えます。
これまで日本で多くの電車が登場してきて、様々なデザインのものが登場してきました。
グッドデザイン賞の列車たち。
— curoka@駅旅ゆけむり研究室 (@curoka) October 17, 2024
2024年度は、
273系やくも(ブランド)
うれしート
阪急 2300系 PRIvACE
仙台市交 3000系
が受賞。おめでとうございます。 pic.twitter.com/LhaYm6ob6S
デザインを第三者が評価するグッドデザイン賞という動きがあり、総合デザイン評価などがされています。
グッドデザイン賞は、デザインによって私たちの暮らしや社会をよりよくしていくための活動です。1957年の開始以来、シンボルマークの「Gマーク」とともに広く親しまれてきました。製品、建築、ソフトウェア、システム、サービスなど、私たちを取りまくさまざまなものごとに贈られます。かたちのある無しにかかわらず、人が何らかの理想や目的を果たすために築いたものごとをデザインととらえ、その質を評価・顕彰しています。
グッドデザイン賞とは
デザインの良し悪しを個人の好みだけで決めたら、取り留めたが無くなりそうですが、こういったデザインを標準的に評価しようとする試みがあります。
鉄道車両のデザインとして特徴的だったものに、500系という新幹線の車両があります。
こちらの車両はJR西日本の車両ですが、造形美などの部分にあたる意匠設計を行なったのは、ドイツの工業デザイナーのアレクサンダー・ノイマイスターでした。
日本の新幹線で初の時速300キロ営業運転を実施し、他にないデザインという意味では、500系新幹線は、目立って個性的であり、造形の美しさも目を引くものがあったと思います。
また、500系新幹線はデザインに定評があり、多方面でそのような意見を見かけます。
500系の車体断面は丸みをおびていて、天井部に上がっていくにつれ壁が窄まっていくため、圧迫感があるという声もあったそうですが、一方では、座席に座るのであまり気にならないという声もあったそうです。
http://onlyzeiss2.web.fc2.com/pg2010-series500/pg2010-series500v_wagon032.htm より
・無神論が普通となった日本では、創作性のあるデザインが誕生しにくい?
鉄道業界を見ると、日本から世界的に影響を与えるデザインというものが中々出てこないという印象があり、どちらかというと、海外で作られたデザインに追随する形で、日本での仕様に合わせて機能性や堅牢性、ディテイルのこだわりを加えていくことが多い印象です。
経済成長をした先進国と言われるような国で、日本や中国は無神論の国であり、中国は、パクリをすることが普通で、ダンピングをして、元々市場にあったシェアを奪うというやり方が慣例となっていました。
ダンピングとは、採算を無視した低価格で商品を投げ売りし、公正な市場競争を破壊する行為のことを言い、世界的に大きな問題となっています。
【進む脱中国】トルコ、全ての中国車に対して40%の関税引き上げ 追加関税は1台あたり最低7,000ドル アメリカでは既に中国製EV車に100%の関税、日本は0%で購入者に補助金を支給
日本では他人のものを盗むことを恥じだとされ、中国に比べて正常なモラルを持っていると言えるはずです。
日本人の性質なのか、欧米に比べると、創作性のあるデザインやコンセプトが中々生まれにくいことがあると、そう感じることがあります。
名鉄パノラマカーや小田急ロマンスカーの元となったセッテベッロはイタリアで、500系新幹線の意匠設計はドイツ人のアレクサンダー・ノイマイスターでした。
家電や電子機器の分野でも、世界的に影響を与えたデザインで思い浮かぶのが、サイクロン式という方式の掃除機を広めたイギリスのダイソンや、アメリカのアップル社のiphoneなどがあります。
ただ、私が知らないだけで、他に日本初の世界に影響を与えたデザインがあるのかもしれませんが。
海外発の先進的なデザインがいくつも出てくる中で、それらの国が、キリスト教国であるという傾向が見られます。
イタリア、ドイツ、イギリス、アメリカ、これらの国はキリスト教国になります。
神様を信じてお祈りをすることで、インスピレーションを受けて、新しい構想を受けることができると、RAPTブログに出会い、はじめて知りました。
特に創作性を求められる作業をしている時は、インスピレーションがないと捗らないということが度々あるでしょう。
インスピレーションがないと、すでにあるモノを見て、それを真似ることになると思うので、創作性が伸びにくいというのはあると思います。
もちろん、何かすでにあるものを見て、そこから新たなアイデアが浮かぶことがあるので、何かを参考にすることがインスピレーションを受けることと全く関係がないと、一概に言い切ることはできませんが。
日本は無神論の国で、特に庶民は、芸術やビジネスなど何か創作性のあることをしない限り、インスピレーションを受けることを求められる機会があまりないような気がします。直感で何かいいアイデアが浮かぶということはあっても、良いインスピレーションを受けるために努力するような習慣は一般的ではないと思います。
RAPT理論を学ぶとわかりますが、海外でも悪魔を拝むイルミナティが様々な分野を支配していたため、本当に神様が求めるものを行えていたというケースは殆どなかったのかもしれません。
ただキリスト教国では聖書が普及しているため、聖書の言葉を多くの人が知っています。
そのため、個人個人も社会的にも、創作性を伸ばすことが、無神論の国よりも容認されやすいことはあったと考えられます。
このように、日本で、創作性のあるデザインが出にくいということに、無神論の国であることが原因に考えられます。
RAPTブログでは、今の時代、神様の喜ぶほどの文化芸術を行うことで、本当に優れた文化芸術をなすことができることを、教えてくださっています
2023年2月9日(木)
サタンはこの百年間で数多くの文化・芸術を通して無神論をこの世に広め、人々を洗脳してきた。しかし神様は、これからの千年間で、数多くの優れた天の文化・芸術を通して、この世の多くの人々が神様の存在を知り、神様につながるように計画を立てていらっしゃる。(人が神を信じるのも信じないのも、この世の文化・芸術の影響によるものだ。)2023年2月10日(金)
https://rapt-neo.com/?page_id=57846
人間に動物にはない高度な知能が与えられているのは、神様を褒め讃えるために文化・芸術を成して、私たち自身も楽しむためだ。これ以外のことにばかり脳を使うから、人生が退屈で虚しくなり、知能も全く発達しない。
2023年2月12日(日)
この地球と人間は、神様が創った最高傑作であり、その機能美も造形美もどこまでも完璧だ。神様がそのように極めて優れた学者であり、芸術家であるように、私たちも優れた学者、優れた芸術家になって天の文化・芸術を成さなければならない。
そして、実際に人々が優れた文化芸術に触れることで、人々の知能が上がり、また、神様を感じて、神様の愛に触れることで、人々が絶望していた虚無の状態から出てこれるのであれば、それは望ましいことだと私としても思います。