恋愛をしなければいけない、という洗脳からの解放。
恋愛できない人は恥ずかしい、というような風潮が世の中にはありました。
私の世代(1987年生まれ)だと、学生の頃から恋人を作るのがある意味では当たり前で、恋人がいないと人生が充実していないかのように言われる事もありました。恋人がいる人をリア充、いない人を非リア充、なんて言うワードがありこれが世間に出回っていました。
恋愛トーク(昔で言う’浮いた話’)が飲み会や集まりでされる事があり、そこに入るために恋人がいないと入れないなど、恋人がいないと何か世間的にギャップが出来てしまう事もありました。
テレビや映画、マンガ、小説などでも、恋愛を題材にしたモノがあり、このようなモノを見ていると恋愛する事にロマンにがあり、恋愛が魅力的なもののように見える事があります。
恋人がいないことで自尊心が傷つくような状況でした。
こういった背景から恋人を作らなければいけないと考えが芽生える事があると思います。(勿論全ての人では無いと思いますが。)
どちらかというと私は、恋愛に対して軽々しい選択が出来ず、誰が自分と合っているのか人なのか、その事を考えた時も、答えが出ずにかなり考え煩うことになりました。
好きな人ができた事もありますが、その人とは上手くいく事は無かったので、益々恋愛で何が正しいかが分からなくなります。
ただ世の中の常識を見ていると、恋愛をした方がいいのかもしれないと考えが出るので、ジレンマから抜けられない日々が続いていました。
私は男ですが、立派な男は女性を連れているモノだと言われる事もありました。ただ一方で男の場合は孤高な方がカッコいいなんて聞く事もありました。
女性をたぶらかすより、何かに打ち込んでいる男の方がカッコいいと感じる事はちょくちょくありました。
女性を取っ替え引っ替えにして付き合っていると、結婚してからもその癖が取れずに、不倫に走り、最悪の場合それにより家庭崩壊に繋がることもあると考えられるので、男性が女性を求め続けるのも危険性があると私は考えていました。
ただブレないハッキリとした答えが無いので、私の中にも恋愛論争がつきまとい、これに終止符は中々打たれませんでした。
しかし、RAPTブログに出会って、この恋愛論争に終止符が打たれました。
恋人を作る事をやめると、何か人生が虚しくなるかのように思えてしまうかもしれませんが、その逆でした。
恋人がいないと愛を受けられないかのように考えてしまう事もあるかも知れませんが、恋人から愛を受けないと十分な愛を受けられないということは無く、むしろ愛は神様から来るものでした。
神様の愛は人間のものとは違い、感覚的な話になりますが、神様の愛を受けたときは心の隙間を全て埋めてくれるような感覚があります。
神様の愛は尽きる事がありません。
恋愛が必要ないと分かれば、恋愛をするために悩む時間も無くなりますし、そのためにお金を浪費する事も無くなります。
答えの出ない恋愛を追い求めるより、答えのある神様の愛を求めて生きた方が、人生の迷いもうんと減ります。
そして神様と繋がるための御言葉を、今の時代はRAPTさんが豊かに伝えてくださっています。
私自身に残っている問題から、神様の愛以外のところに流されてしまう事もありますが、異性を慕って生きるより、神様を慕い求めて生きる方が幸せだと私は感じています。
生活する中で恋愛へ疑問を持っている方も居ると思います。そのような方々が恋愛しなければいけないという重荷から解かれ、恋愛する事が幸せという洗脳から解かれる事を願います。
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