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福知山線脱線事故の原因となった日勤教育。そんな日勤教育を支持していた中曽根康弘。

2005年4月25日に、JR西日本・福知山線で死者107名、負傷者562名を出す悲惨な脱線事故が起きました。

私としても今後このような事故が起きない事を願います。またこのような事故が起きないための一助けとなればと思い記事を書いています。

今回は日勤教育のルーツと、それらが誰によって支持されてきたを調べてみました。

脱線事故の物理的要因は速度超過と言われており、列車は制限速度が時速70kmと定められたカーブに時速116kmで侵入し、カーブを曲がりきれず横転脱線してしまったとされています。

当時、事故が起きた福知山線にはATSが設置されておらず、運転士さんの制動によるところが大きかったです。

JR西日本は圧政的な会社で、ATSの設置など安全面へのバックアップもないまま、運転士にギリギリの過密ダイヤの運行をさせていました。そしてダイヤを守れない運転士に対して日勤教育を施し、懲罰と暴力をもってミスを無くそうとする会社でした。JR社員の方が証言してくれています。(こちらより)

JR西日本の要求する運行ダイヤは、線路の許す最高速度ギリギリで走れというものです。

これを無茶振りといいますが、要求された無茶振りが出来なかったらすぐに懲罰を下し、ミスを下した運転士に割に合わない懲罰を下すのが西日本の日勤教育でした。

JR西日本の体質ですが、かなり悪い意味で厳格と言えます。JR西日本の厳格な要求を呑んで運転士さんにはどんな報酬があるでしょうか。JR西日本は成果主義を取り入れていたので多少の賃上げはあるかもしれません。しかし、むしろ運転士さん達が得るものは’日勤教育を受ける恐怖’と’理に適わない極限の運転からくる疲労’ではないでしょうか。

福知山線脱線事故の車両を運転していた運転士さんも日勤教育に怯えていた様子が伺えます。

この運転士さんは事故の10ヶ月ほど前にオーバーランをした事がきっかけで日勤教育を受けていました。

脱線事故当日も、現場の一つ前の駅でオーバーランをしてしまい、列車に1分ほどの遅れが生じていました。

日勤教育を再度受ける恐怖、また再度日勤教育を受ける事により自身が運転士の職を辞めさせられる恐怖があったはずです。(こちらより参考)

しかしオーバーランというのは運転士さんの間では比較的よく起きる軽微なミスです。(こちらより)

私も電車に乗っていてオーバーランに遭遇した事は何度かあります。

その軽微なミスに対して、あまりに重すぎる懲罰が課されるのが日勤教育です。

JR西日本側は事故当初、核心に辿り着かないように、事故原因について置き石説や非常ブレーキ説など様々な説をメディアに流していました。

もちろんそんな事は許されるはずがありません。

人事の交代などもあったのでしょう。最終的にJR西日本側は、事故の直接の原因にヒューマンエラーがあると結論付け、ヒューマンエラーを起こした背景要因に日勤教育があったとしています。(JR西日本フォローアップ会議報告書より)

日勤教育のルーツとなったものに、国鉄時代の’人材活用センター’があります。

人材活用センターには、主に国鉄労働組合の職員を締め上げる役目がありました。(こちらより)

国鉄の民営化後に発足するJRの意にそぐわないような国鉄職員(ほとんどが労働組合員)を、JRで働けないように追い遣っていたのが人材活用センターです。

もちろん集団ストライキなどを行う労働組合のやり方も問題だと思いますが、人材活用センターのやり方もかなり懲罰的かつ暴力的なものでした。

国労は、人活センターの実態を次のように告発します。

「「人材活用センター」における業務は、草取り等の「環境整備」、壁・天井・ホーム等のペンキ塗り、便所掃除、沿線等の草刈り、文鎮づくり、電車・気動車等のガラスみがきや、床面のチューインガム削り、家屋解体、観光の名所旧跡調べ等々であり、職員として長年に亘って培ってきた知識・技能・経験を生かすどころか、輸送の安全・サービス向上とは直接係りのない業務に一方的に従事させていること。「人材活用センター」(建屋、詰所)は、スペース不足、照明不足、老朽等の問題があるほか洗身設備、水道、ガス、冷暖房等がない所もあり、さらに鉄道電話、机まで撤去されたところもあり、労働基準法や労働安全衛生法等に照らして問題点が多いこと。

https://blogs.yahoo.co.jp/assocy/8972811.html

そして人材活用センターを支持していたのが中曽根康弘政権です。

日勤教育のルーツは、国鉄が民営化された当時、1986年にこれに反対した国鉄労働組合(国労)組合員を締め上げるため、「人材活用センター」(通称「人活センター」)、「要員機動センター」を設け、隔離したことに始まるといわれているが、その実態は、「人材活用」とは名ばかりの草むしりなどの雑用をさせ、「国労を脱退」か「辞職」かの二者択一を迫ったものだったという。当時、社会党議員団が立ち入り調査を求めたが、「人活センターでは非人間的ないじめが日常化している」というプロパガンダと表裏一体をなす動きであるとして国鉄側は拒否し、自民党(当時の中曽根康弘政権)もこれを支持した[7]

https://ja.wikipedia.org/wiki/日勤教育

少しややこしい表現になってますが太字にした部分を見ると、中曽根康弘政権がこの人材活用センターのやり方を支持してるのを汲み取れます。

中曽根康弘は国鉄民営化と労働組合の解体を計画していました。

そんな彼の計画を助けてくれた’人材活用センター’を支持するのも当然かもしれません。

そして上記にあるように、中曽根康弘政権は人材活用センターの暴力的なやり方が世間に広まる事を阻止しました。きっと悪い事だと分かっていたのでしょう。

国鉄内部からも民営化を助ける人達が出てきました。その中心的な人物が国鉄改革三人組と言われる松田昌士、葛西敬之、井手正敬です。

葛西敬之氏は人材活用センターを各地に作り、多くの職員を人材活用センターに送り込んだとされています。(こちらより)

葛西敬之氏はJR発足後、JR東海に入社した後、社長になり、2019年現在でもJR東海名誉会長というポストにいます。

そのJR東海でもやはり日勤教育は施されていると言われ、自殺者も出ています。

しかし、JR東海では依然として懲罰的な日勤教育が行われているとされ、2013年には、同社の社員が自殺する事態も起きている[8]


https://ja.wikipedia.org/wiki/日勤教育

国鉄改革三人組の一人、井手正敬氏はJR西日本の社長になりました。

1992年(平成4年)にJR西日本社長就任[1]。ワンマン経営者として知られ[2]、社長・会長を11年務め、JR西日本は「井手商会(商店)」と呼ばれるほどであった[3][4]。また、そのワンマン振りから社内では「(井手)天皇」というあだ名でも恐れられていた[5]。第5代社長の山崎正夫などからも恐れられる存在であったが、JR福知山線脱線事故後、収益重視の「儲け体質」が安全軽視につながった、との批判を浴び、またJR西日本の負の部分であるイジメとも言われる日勤教育の実態が暴露されたことにより引責辞任。


https://ja.wikipedia.org/wiki/井手正敬

日勤教育の事が暴露された事により引責辞任とされているので、彼も日勤教育を容認していた可能性は高いです。

日勤教育のルーツについてちょっと視野を広げて見てみたいと思います。

次回、日勤教育と大本教の関連性について。


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